アーバン・トライブと非言語的共鳴

前回は1990年代末、つまり20世紀末におけるサイケデリック・トランスを中心としたカルチャーの一端としてフライヤーを紹介した。レイヴ・カルチャーは、もちろん音楽とダンスを楽しむことを追求するものではあるが、一方で、それを社会的な思想潮流として捉える側面もあった。

たとえば、上野俊哉氏の『アーバン・トライバル・スタディーズ』がある。この本は2005年に出版された書籍であるが、1990年代からの上野氏自身の思索とレイヴ・カルチャーでのフィールドワークが元になっている。

実際、上野氏は1995年12月号の『ユリイカ』特集「サイケデリア」において、すでに「弱い繋がり」による社会運動の方法論について、オランダにおける「プロヴォ」運動を例に紹介している。アーバン・トライバル(都市の部族)という概念は、おそらくこの論の延長線上にあったのだろう。

『ユリイカ』1995年12月号「サイケデリア」
『ユリイカ』1995年12月号「サイケデリア」
『アーバン・トライバル・スタディーズ』上野俊哉著 2005年刊
『アーバン・トライバル・スタディーズ』上野俊哉著 2005年刊

「弱い繋がり」としての「部族」

「弱い繋がり」と言う場合の「弱い」とはネガティブな意味ではない。これは、たとえば佐々木俊尚氏が『広く弱くつながって生きる』(2018年刊)などで述べたような、SNSによる緩やかな繋がりや多層的な生き方を積極的に捉える視点と通底している。また、90年代においてはハキム・ベイが『T.A.Z.:一時的自律ゾーン、存在論的アナーキー、詩的テロリズム』(the Temporary Autonomous Zone)で提唱した概念も近い発想と言えるだろう。

逆に言えば、21世紀のインターネット社会で一般化したような「繋がりの形」は、すでに20世紀末のレイヴという現場において、思想的な潮流として先取されていたのである。

上野氏は、レイヴという一時的自律ゾーンを通じて境界をとり払い、互いに弱く結びあう運動の過程を「部族的(トライバル)」と名付けた。そして、精神的境界を取り払う儀式を執り行う「シャーマン」としてDJを見立て、ドラッグ(幻覚剤)の効果もまた、その脱境界を担う装置として捉えた。実際にこの時代、レイヴ・カルチャーはそういうものとして位置付けられていた側面があり、上野氏はそれを著書を通じて報告しているのである。

非言語的共鳴とドラッグの流行

上記でユリイカ1995年12月号の「サイケデリア」を取り上げたので、90年代のカルチャーの一端としてのドラッグを巡る状況についても触れておくべきだろう。

当時のサブカルチャー界ではドラッグ(幻覚剤)の大きな流行があり、青山正明氏の『危ない薬』(1992年刊)なども刊行され、違法化される前の幻覚性キノコ(マジックマッシュルーム)の乾燥粉末(もっとも実際何が入っているかわからないし、摂取前提にはできないので観賞用と銘打って)が渋谷の路上で公然と販売されていた。

やがてドラッグやキノコの事故や事件が表面化してマスコミでも取り上げられるようになると、薬物乱用防止のキャンペーン「ダメ。ゼッタイ。」なども始まる中、警察によるレイヴでのドラッグの一斉摘発なども報道され、レイヴ・カルチャーにはマイナス・イメージが定着していった。

確かにレイヴとドラッグが結びつけられて考えられるのは、海外のレイヴ・イベントでドラッグが用いられていたことによるところがあるが、実際には、それそのものがカルチャーとしてあったわけではない。そもそもは、両者(音楽と踊りによるトランスとドラッグによるトランス)が脱境界のあるいは非言語的共鳴という点で一致していたことによるものだ。語弊を恐れずに言えば一種の技術として用いられていたのである。

テクノロジーとシャーマニズムの融合

DJというシャーマンが繰り出す電子音響のテクノロジーと、古来より伝わる薬理的なシャーマニズムの合流。

既存の社会構造が溶解し、誰もが多層的に「部族(トライブ)」の一員として、異質な隣人と緩やかに共存できる未来。当時はまだ、そのビジョンが絵空事ではなく、来るべき21世紀の標準的な生存戦略になり得ると信じられるだけの熱量があった。

1990年代末からゼロ年代にかけての時代において、上野氏にしても前々回紹介したラシュコフにしても、当時の一種の希望あるいは夢として、レイヴという場は新しい人間あるいは社会の実験場でありプロトタイプであったように思う。

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