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ラシュコフとローザク

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前回書いた1997年のあの日、「なぜ、そこに僕はいたのか」の回答を試みてみようと思う。 ラシュコフの描いた夢と無意識の期待 1980年代、小さな会社の会社員となってCP/MやMS-DOS上で8086アセンブラ、C言語、あるいはFACOMの事務用BASIC(F-BASIC)で顧客向けツールを作っていた。コンピューターを小規模な企業でもツールにできることに新しさと興奮を感じていた。 1995年、Windows95の登場でインターネットへの接続は、コンピューターを個人の新しいつながり方を可能にした。これを「人間とその精神の拡張」を意味すると無意識にだが、つまりそのような言葉を持っていたわけではなく、一種の「気配」として感じ始めた。PCは事務機器から、社会的な接続装置へ変わり、技術を効率化の手段としてだけでなく、自己理解や他者理解の仕方そのものを変える媒体へと変わりつつあった。いま振り返ると、それは「テクノロジーと人間精神のつながり」という曖昧な直観、技術と意識が互いを作り変える可能性を感じ取っていたのだと思う。 ダグラス・ラシュコフを知ったのは2010年より後だと思うが、この頃の感覚を言語化する助けになったのだった。ラシュコフは90年代に、サイバーカルチャーを単なる流行ではなく、社会組織と人間認識を再配線する文化現象として読んだ。『メディア・ウイルス』では、情報が「上から下へ配信されるもの」から「ネットワーク内で自己増殖するもの」へ変わる局面を捉え、受け手が同時に送り手になる回路を描いた。『サイベリア』では、レイブ、サイケデリック、初期ネット文化、DIY精神を、同じ変容願望の別表現として束ねてみせた。彼の初期の仕事には、テクノロジーを通じた民主化への強い期待がある。 その頃はラシュコフを知らなかった僕だが、それでも不思議なことに、同じムーブメントを感じ取り、そして、前回紹介したレインボー2000のようなレイブ・イベントへと向かっていた。そして今、僕は「なぜ、私はそこにいたのか」と自問しているのである。 D・ラシュコフ「サイベリア」 D・ラシュコフ「デジタル生存競争」 ラシュコフの変遷とセオドア・ローザク T・ローザク「意識の進化と神秘主義」 T・ローザク「コンピュータの神話学」 一...

なぜ、僕はそこにいたのか

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1997年8月、日本ランドHOWゆうえんち(当時)、暴風雨と濃霧、なぜ、僕はそこにいたのか。 試行錯誤で電車とバスを乗り継ぎ、やっとたどり着いたのは夜だった。 何が何だかわからないが良い音楽が響いてくる。 だんだん明るくなり始め、あたりの様子が見え始める。 RAINBOW2000 Mt. Fuji in 1997。 音楽ファンでもない僕が、なぜ、そこにいたのか。 1980年代:オルダス・ハスクリー、ラム・ダス、ジョン・C・リリィ、ティモシー・リアリー 1990年代:ダグラス・ラシュコフ、テレンス・マッケナ、ロバート・A・ウィルソン、マーティン・A・リー そして、2000年、ゼロ年代。 2026年となった今となっては、もう四半世紀も前のことだ。 続く...